“距離を取る”ということ
2012
お茶の間心理学<№4>
人間関係を考えるときに
“距離をとる”という言い方をすることがあります。
これは、物理的なときもありますし、心理的なときもあります。
そして、この物理的距離と、心理的距離が
比例するときもあれば、反比例するときもあります。
また、無意識に取っているときもありますし
意識して取ることもあります 。
あるいは、遠距離恋愛のように
望んでいなくても、他からの要因で
距離ができてしまうこともあるでしょう。
この距離の取り方というのは
心理の世界では、重要な視点になっています。
悩んでいることを人に話して
そのことをちょっと離して、客観的に眺めてみる。
そして、いずれその悩みごとを手放すことができる。
話す・・・→ 離す・・・→ 放す・・・
だんだん距離が遠くなっていく感じがしますね。
ここで気をつけたいのは
決して、消すことではないということです。
夜空を眺めていて
すぐに見つかる星もあれば
存在しているのに、出逢うことなく終わる星もあるでしょう。
その星はどんな星なのか
“はやぶさ”を飛ばしたくなる人もいれば
まだ見ぬ星との出逢いを求めて
望遠鏡を見つめ続ける人もいるでしょう。
もしかしたら
人のこころにも
宇宙に存在する星たちのように
いろいろな思いが、存在しているのかもしれません。
「自分の中にこんな思いがあったのか・・・」と
きっと、自分が存在する限り
その気づきは終わることがないのでしょう。
そして、そのさまざまな思いは
常に自分の側にあるものもあれば
状況によって見えるものもあれば
何となく気にはなっていても、それがどんなものか
とうとうはっきり見えずに終わってしまうものもあるでしょう。
そんなとき、こころにあるいろいろな思いにも
距離があることを感じるのです。
それが、実際の人間関係においての距離感だったら
ともに泥まみれになることもあるし
あまり近づき過ぎないようにすることもあるし
ほどほどの距離を保つこともあるでしょう。
きっと、それぞれが
自分の感覚を研ぎ澄ませながら
居心地の良い距離感を探っているのだと思います。