軌跡

1月
2013
29

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白鳥の羽

白鳥の足あと

何かを残そうとは思わない。

でも、微かな感覚を拾って、表現していきたいと思う。

それは、丁寧に生きることだから。

 

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お茶の間心理学<№5>
~距離の話しをもうひとつ~

傾聴の講座のサブタイトルに使っていた
そっとそばにいる・じっとそばにいる”を
そっとそばにいる・ずっとそばにいる”に変えたのは
震災の被災者支援に関わってからです。

このブログのタイトルも
ずっとそばにいる”を使うことにしました。

それを今回
じっとそばにいる”に戻そうという気持ちになりました。

この“ずっと”と“じっと”の違いを
ちょっと、味わってみたいと思います。

被災された方に、遠方のわたしたちができることは限られています。
どんなに気持ちがあっても
足を運び続けることは、そう容易いことではありません。
せめて、忘れないこと
そんな気持ちから
ずっとそばにいることを意識したいと思ったのです。

発災から1年7か月が経ち
毎月お会いしているうちに
お話しの流れが変わってきたように感じています。

被災者、とひとくくりにはできない、それぞれの方の生き方が
はっきりしてきたように思います。
「その方にとっての震災」
そこに寄り添うには、やはり
“そっとそばにいる・じっとそばにいる”姿勢が大事ではないかと
そう感じるようになりました。

「コミュニティづくりを応援しながら、個を大事にする」ために登場したのが
障子風の衝立です。
足湯をしながらお話しをするスペースが、お茶っこと同じ空間であったのを
ちょっぴり「あなたのための時間を大事にしている」と感じられるよう
こころの距離を取ったわけです。

実際の距離を離したわけではないのに
周囲が気にならなくなることで、こころにちょっとした距離ができる。
こんな工夫を、わたしたちは無意識にしていることがあります。
あるいはそれができずに辛くなっている時が、あるかもしれません。

そこで考えたいのが
じっと”と“ずっと”で、距離感が違うかどうかです。

ずっとそばにいてもらえたら、とても安心ですし
困ったら、いつでもすぐに助けてもらえそうな感じがあります。
甘えたくなるような、温もりも感じるかもしれません。
でも、近いのか、すこし離れているのか・・・
言葉で安心したくなっている自分を感じてしまいます。

じっとそばにいる、とはどういう感覚でしょうか?
確かに近い距離を感じます。
一方で
離れずにそこにいるのに、手は出さない?
そんな感じもして
それが本当に助けになるのだろうか、と心配になる人がいるかもしれません。

けれど、どういう人生を歩むかは、自分で決めること。
ときには、「あなたが決めたことを尊重します」と
自分が選んだ道を生きる勇気を、後押ししてもらえることが
本当の援助になるのではないかと思っています。

つまり、自立支援ですね。

それは「自分で決めたことだから、自己責任」ということではありません。
決めるまでに、どれだけの時間と労力、そして精神力を使ったことか・・・
じっとそばにいるには
相手を尊重することと、持っている力を信じて待つ姿勢が
根底に必要であると考えています。

さて、の違いを考えていてお伝えしたくなったのは
ゲシュタルト心理学に、“地と図”の考え方があることを思い出し
ひとりで歓喜するのはもったいない気持ちになったからでした。

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お茶の間心理学<№4>

人間関係を考えるときに
“距離をとる”という言い方をすることがあります。

これは、物理的なときもありますし、心理的なときもあります。
そして、この物理的距離と、心理的距離が
比例するときもあれば、反比例するときもあります。

また、無意識に取っているときもありますし
意識して取ることもあります 。
あるいは、遠距離恋愛のように
望んでいなくても、他からの要因で
距離ができてしまうこともあるでしょう。

この距離の取り方というのは
心理の世界では、重要な視点になっています。

悩んでいることを人に話して
そのことをちょっと離して、客観的に眺めてみる。
そして、いずれその悩みごとを手放すことができる。

話す・・・→ 離す・・・→ 放す・・・
だんだん距離が遠くなっていく感じがしますね。

ここで気をつけたいのは
決して、消すことではないということです。

夜空を眺めていて
すぐに見つかる星もあれば
存在しているのに、出逢うことなく終わる星もあるでしょう。
その星はどんな星なのか
“はやぶさ”を飛ばしたくなる人もいれば
まだ見ぬ星との出逢いを求めて
望遠鏡を見つめ続ける人もいるでしょう。

もしかしたら
人のこころにも
宇宙に存在する星たちのように
いろいろな思いが、存在しているのかもしれません。

「自分の中にこんな思いがあったのか・・・」と
きっと、自分が存在する限り
その気づきは終わることがないのでしょう。

そして、そのさまざまな思いは
常に自分の側にあるものもあれば
状況によって見えるものもあれば
何となく気にはなっていても、それがどんなものか
とうとうはっきり見えずに終わってしまうものもあるでしょう。

そんなとき、こころにあるいろいろな思いにも
距離があることを感じるのです。

それが、実際の人間関係においての距離感だったら
ともに泥まみれになることもあるし
あまり近づき過ぎないようにすることもあるし
ほどほどの距離を保つこともあるでしょう。

きっと、それぞれが
自分の感覚を研ぎ澄ませながら
居心地の良い距離感を探っているのだと思います。

席を譲るとき

8月
2012
16

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お茶の間心理学<№3>

相手の人を援助しようと手を差し伸べるとき、気をつけたいことのひとつに「自尊心を尊重する」ということがあります。これは当然のこととして理解できるようで、具体的にどのようにしたらよいか、なかなか分かりにくいのではないかと感じています。

ボランティア講座などでわたしは、ご高齢の方、認知症の方に対する声のかけ方を学んでいただく場合、実際に参加者同士が声をかけ合って、体験して感じたことから考えていくようにしています。

たとえば、座ってお話しをしようとするとき
「座りましょうね」と声をかけてみる(声をかけられる)ことを体験した後
「座りましょうか」と声をかけてみる(声をかけられる)ことを体験し
感じたことを述べ合います。

たった一文字の違いですが、援助する側の姿勢が現れてしまいます。
たとえ記憶が定かでない状態であっても、その人の意思を尊重しようとする会話からは、大事にされている感じが伝わるものです。 座るか座らないかを選択する権利を、奪ってしまわないように、とお伝えしています。

『権利』と聞くと、とても堅苦しく、日常生活には縁のないもののように聞こえますが、これは日々の生活の中に起こっていることでもあるのです。 たとえば、親が子どものためと思って、心配して子どもに言うときに、子どもの考える力を信じきれていなかったり、結果として子どもが考える機会を奪ってしまう場合が少なくありません。そして子どもは、親の言葉から、親の不安なこころを感じ取り、さらに親を不安にしてはいけないと、本心を話すことをしなくなっていきます。

では逆に、自分が子どもだったときを思い出してみましょう。なんともけなげに、親の様子から言葉を選んでいたことはなかったでしょうか。

夫婦でも、お互いの意思を尊重する生き方は、なかなか難しいのではないかと感じています。依存関係のようなものを愛情と思ったり、もめないためにあまり関わりを持たない生活を選んだり。多くのご夫婦、特に子どもが自立した後のご夫婦は、相手も自分も大事にする生き方や支え方に、ご苦労されているのではないでしょうか。

さて、『相手に、<大事にされている>と伝わる、援助のしかた』に話しを戻しましょう。 つまり『自尊心を大事にする援助のしかた』です。

先日電車に乗っていて、急いで飛び乗ってきたご高齢の女性が、わたしのそばに立たれました。 わたしは座ったまま「お座りになられますか?」と声をかけていました。 以前のわたしだったら、立ち上がりながら「どうぞ」と声をかけていたと思います。 そして、「大丈夫です」と断られたときは、<余計なことをしてしまったかな>と、悩んだものでした。

先日の方は、「いいですか?ありがとうございます」と座られたので、<良かった>と思ったのですが、それはその方が座ったからではなく、<その方は座りたかったのだ>と確認できたことによる安心だったと思います。

席を譲るという行為は単純そうに見えますが、実はけっこう悩む場面が多いのではないかと考えています。<とても疲れていて、自分も座っていたい>というときもあるでしょうし、<席を譲ることで相手を高齢と見たととられ、気を悪くされるかも>と迷うときもあるでしょう。

わたしは最近、自分自身がシンプルなコミュニケーションをとれるようになっていることに、気づくことがあります。相手の意思を確かめ、わたしにできるお手伝いをさせていただくために、さらっとお聴きすることが身についてきたようです。

これはきっと、被災された方の支援をするようになってから、強く意識をするようになったことだと感じています。 被災された方を弱いひとと見て、やってあげるという姿勢を感じたとき、支援する側が<これはとてもお勧めだから>と、やりたいことを進めているように見えたとき、そんな場面に出逢ったときは、とても苦しい気持ちになりました。もっと、こころをつなげるためのコミュニケーションを大事にしたい、と思ったのです。

一方、援助する側の至らなさを感じながらも、受け入れてくれる被災地の方々の大きさも、同時に感じています。 『相手の方を大事に思う援助』を教えてくれたのは、被災地の方々でした。

posted by on 悩める人へ ~色即是空 空即是色~

突然、涙がじわ~っと溢れてくることがあります。

ひとのこころは
なんて優しいのでしょう。

どんなに元気だと思っていても
どんなに平静のつもりでいても

ちゃんと、傷ついていることを教えてくれます。
生きている切なさを、思い出させてくれます。

涙は、きっと
天から、あなたへのプレゼントかもしれません。