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秋の気配

残暑の空

ここから見たら一枚の絵

でも

同時に存在している雲は
何層にも
立体的に存在し
深く、深く
宇宙へと続く

明るいがゆえに見えない星も
遠すぎて同じ時期に出逢えない星も
一生出逢うことのない星も

この雲の先には
想像を絶する世界が深く広がっているのだろう

ひとの心も同じかもしれない

深く、深く

未知の世界の気配がする

 

 

正確に言うと

6月
2014
25

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お茶の間心理学<№9>

前回「禅寺に坐して」を書いてから
時々、ざわざわする感じがありました。
きっと何かがピッタリではないのだろうと
それが何なのか、気になっていました。

過去の時代を生きた人のこころは、想像するしかありませんが
天変地異や疫病に苦しんでいた頃
人々は賢く生きる方法として
確率や先人の知恵を、大きな判断材料にしたのだと思います。

そう想像した時に
常に不安に晒されているわけではない現在のわたしは
きっと幸せなのだろうと
そんな思いが湧いてきました。

こころの中の小宇宙が、安定しているのかもしれません。
正確に言うと
不安に大揺れすることはあっても
ゆっくり立て直すことができるようになっています。

とは言え、毎月東北にお邪魔していると
もう少し正確に予測できていたら・・・
と、とても残念は気持ちになりますが
これは、大自然の偉大さに感服するしかありません。

常に謙虚であること
日々の一つひとつを丁寧に生きること
生かさせていただいていることに感謝できること
大宇宙からは、そんなメッセージが届きます。

仕事をしていれば、ハプニングばかりで
むしろ、その対応そのものが仕事であるとも言え
予定通りにいかないことに、押しつぶされそうになることもあります。
将来を考えると、不安でいっぱいにもなります。

数時間、数日、数ヶ月、あるものは数十年かけて
なんとか納得できる道を見つけられるように
わたしは、子どもの頃から
そのように生きてきた気がします。

この頃は
とことん考え抜いたのだから
こころの中の真実を追求したのだから
結果を待とう。

正確に言うと
導かれた道が最善の方向なのだろうと
感じられるようになりました。

「禅寺に坐して」 に、書き足りないことがあったこと
何かが気になって、また考え続けたこと
だから、こうしてまた書けたことに
ありがたい、と思えるようになったこと

すべてに感謝です。

禅寺に坐して

6月
2014
21

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お茶の間心理学<№8>

開山禅師の800年法要を行っている禅寺に、立ち寄る機会がありました。
全国各地から関係するお寺の方たちが集まって、お話を聞いている方丈の脇で
少しの間、休ませていただきました。

空海、日蓮、栄西・・・
貴族から武士に、社会が変化しつつある時代にあって
混乱の中、ひとびとは何か、揺るがないものを求めていたのかもしれません。

人が救われる道は
この頃も、決してひとつではなかったのだろうと
かすかな風に汗が引くのを感じながら、考える機会をいただきました。

数年前に行ったカウンセリングの研修会で
諸富祥彦さんと鏡リュウジさんの対談を、開催したことがありました。
対談の中で、諸富祥彦さんが
「皆さんは、恋愛で悩んだとき
恋愛相談のカウンセリングルームと
恋愛の占館が並んでいたら
どちらの扉を開けて入りますか?」
と、会場の参加者に問いかけました。
なんと、占館の方が多いのは
数えなくてもわかるほどの大差だったのです。

納得がゆくまで
自分のこころに折り合いがつくまで、考えたい。
どんなに確率が高くても
確信にはならない。
そんなわたしは、恋愛相談にかかわらず
どうも占いの世界が苦手のようです。

ただ、引いたカードや石からイメージをふくらませていくことは
何かの気づき(ひらめき)があり、ワクワクする瞬間ではありますが。

やはりわたしは
気がすむまで、自分のこころのホントを追求していく生き方が
一番、安心できるようです。
それはこだわりというより
自分のこころに存在するかすかな感覚を
大事にしていくということです。

いつの時代も、ひとのこころが救われる道は
ひとつではないようです。

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花見山

桜とヒヨドリ

美味しそうな花が見つかりましたか

生きるために
ともに存在するために

あなたにとっての花は
生きていくために必要なものなのですね

この素敵な時間を楽しめたらいいなあ
と、あなたの凛々しい姿から
そんな感じがわいてきました

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お茶の間心理学<№7>

たまたまテレビをつけた・・・

安倍首相が羽生結弦選手に
「おめでとう」 の電話をしているシーンが映し出されていた。
「君のあきらめない姿勢に、国民が励まされた・・・」
正確ではないが、そのような内容だったと思う。

確かに、羽生選手の姿は
私たちの重い心を爽やかに駆け抜け
希望をもたらしてくれた。
私の目からは、涙もこぼれた。

しかし一国を背負っている人の発言として
「あきらめないこと」を
『美しい言葉』としてしまって良いのか
むしろ心はさらに重くなった。

羽生選手が素晴らしい演技で終えられた背景には
コーチの的確な指導やプログラム
各地の会場や選手たちの応援があったからではないだろうか。

素晴らしい演技の影には
被災地を離れての生活に
多くの葛藤があっただろう。

あきらめないことが結果をもたらしたような表現は
危険である。
復興が進まない被災地の方々に、「あきらめないで」と言うならば
将来を考える気持ちになれるように
的確な援助とプログラムを示すべきである。

『美しい言葉』は要注意である。
精神論に包まれた無策・・・
応援しているようでありながら
「それはあなたの気持ちの持ちよう」と
責任を逃れていると感じてしまう。

*このように二重のメッセージを感じられるコミュニケーションを
ダブルバインド(二重拘束)といいます。

首相にも、どうか
被災地を、あきらめないで欲しい。
原発被害の処理を 、あきらめないで欲しい。
そして、あきらめなければなんとかなると
思わないで欲しい。