席を譲るとき

8月
2012
16

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お茶の間心理学<№3>

相手の人を援助しようと手を差し伸べるとき、気をつけたいことのひとつに「自尊心を尊重する」ということがあります。これは当然のこととして理解できるようで、具体的にどのようにしたらよいか、なかなか分かりにくいのではないかと感じています。

ボランティア講座などでわたしは、ご高齢の方、認知症の方に対する声のかけ方を学んでいただく場合、実際に参加者同士が声をかけ合って、体験して感じたことから考えていくようにしています。

たとえば、座ってお話しをしようとするとき
「座りましょうね」と声をかけてみる(声をかけられる)ことを体験した後
「座りましょうか」と声をかけてみる(声をかけられる)ことを体験し
感じたことを述べ合います。

たった一文字の違いですが、援助する側の姿勢が現れてしまいます。
たとえ記憶が定かでない状態であっても、その人の意思を尊重しようとする会話からは、大事にされている感じが伝わるものです。 座るか座らないかを選択する権利を、奪ってしまわないように、とお伝えしています。

『権利』と聞くと、とても堅苦しく、日常生活には縁のないもののように聞こえますが、これは日々の生活の中に起こっていることでもあるのです。 たとえば、親が子どものためと思って、心配して子どもに言うときに、子どもの考える力を信じきれていなかったり、結果として子どもが考える機会を奪ってしまう場合が少なくありません。そして子どもは、親の言葉から、親の不安なこころを感じ取り、さらに親を不安にしてはいけないと、本心を話すことをしなくなっていきます。

では逆に、自分が子どもだったときを思い出してみましょう。なんともけなげに、親の様子から言葉を選んでいたことはなかったでしょうか。

夫婦でも、お互いの意思を尊重する生き方は、なかなか難しいのではないかと感じています。依存関係のようなものを愛情と思ったり、もめないためにあまり関わりを持たない生活を選んだり。多くのご夫婦、特に子どもが自立した後のご夫婦は、相手も自分も大事にする生き方や支え方に、ご苦労されているのではないでしょうか。

さて、『相手に、<大事にされている>と伝わる、援助のしかた』に話しを戻しましょう。 つまり『自尊心を大事にする援助のしかた』です。

先日電車に乗っていて、急いで飛び乗ってきたご高齢の女性が、わたしのそばに立たれました。 わたしは座ったまま「お座りになられますか?」と声をかけていました。 以前のわたしだったら、立ち上がりながら「どうぞ」と声をかけていたと思います。 そして、「大丈夫です」と断られたときは、<余計なことをしてしまったかな>と、悩んだものでした。

先日の方は、「いいですか?ありがとうございます」と座られたので、<良かった>と思ったのですが、それはその方が座ったからではなく、<その方は座りたかったのだ>と確認できたことによる安心だったと思います。

席を譲るという行為は単純そうに見えますが、実はけっこう悩む場面が多いのではないかと考えています。<とても疲れていて、自分も座っていたい>というときもあるでしょうし、<席を譲ることで相手を高齢と見たととられ、気を悪くされるかも>と迷うときもあるでしょう。

わたしは最近、自分自身がシンプルなコミュニケーションをとれるようになっていることに、気づくことがあります。相手の意思を確かめ、わたしにできるお手伝いをさせていただくために、さらっとお聴きすることが身についてきたようです。

これはきっと、被災された方の支援をするようになってから、強く意識をするようになったことだと感じています。 被災された方を弱いひとと見て、やってあげるという姿勢を感じたとき、支援する側が<これはとてもお勧めだから>と、やりたいことを進めているように見えたとき、そんな場面に出逢ったときは、とても苦しい気持ちになりました。もっと、こころをつなげるためのコミュニケーションを大事にしたい、と思ったのです。

一方、援助する側の至らなさを感じながらも、受け入れてくれる被災地の方々の大きさも、同時に感じています。 『相手の方を大事に思う援助』を教えてくれたのは、被災地の方々でした。