生きている幸せ

3月
2017
15

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3月9日から11日まで
東日本大震災の被災地におりました
59回目の活動になります

今回、ふと感じたことがありましたので
書いてみようと思います

この間、食事をいただくたびに
おいしい~
と感じたこと

何気ない会話で
気持ちが通じ合ったような感じがして
うれしく思えたこと

そして

おいしい~と感じることをもう少しやってみたくて
生きていたいと思ったこと

気持ちが通じ合ううれしさをもう少し感じたくて
生きていたいと思ったこと

ぼち ぼち

6月
2016
20

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なが~い、なが~い
お休みでした。

ぼちぼち書いてみようかと・・・
理由はありませんが

ずっと、ずっと以前
『人生のどんな出来事にも意味がある』という言葉に
「意味なんていらないから、楽になりたい!」と
叫びたかったことを思い出しました。

今回も
なんで、また書き始めたか
意味を考えずにいることを、大事にしたいと思います。

意味を考えないことに意味がある・・・?

頭が疲れるので
大好きなお菓子で、お茶にします。

 

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仙人に憧れていたことがあります。

あらゆる苦悩や禍い、欲から解き放たれ
別次元で
穏やかに存在している人に思えたからでしょう。

ただ
この仙人が食べていると聞く“かすみ”とは何なんだろう
という疑問が
何十年も解けずにおりました。

『かすみを食べる』とは
何も食べない、ということなのだろうか?
そう考えても
何となくピッタリこないまま
また、時が過ぎ去っておりました。

ここのところ
意識のレベル、というか
ステージ、というか
どう表現するかは、決めかねていますが
自分の居心地の良い場所を考える上で
意識の居場所を考えるようになっておりました。

その時
ふと、仙人に話が浮かび
『私は何を食べて生きているのかなあ』
と考え始めました。

そして
生きていくことができているのは
この感覚のおかげ
と、出てきたのは
『変性意識』です。

わたしは
『変性意識』に
生かされているようです。

『変性意識』を味わうことができる
カウンセリングの世界に導かれたのも
自然の流れなのでしょう。

まだ
“かすみ”には到達しておりませんが
『いま』を感じながら
ゆっくり進んでゆきたいと思います。

正確に言うと

6月
2014
25

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お茶の間心理学<№9>

前回「禅寺に坐して」を書いてから
時々、ざわざわする感じがありました。
きっと何かがピッタリではないのだろうと
それが何なのか、気になっていました。

過去の時代を生きた人のこころは、想像するしかありませんが
天変地異や疫病に苦しんでいた頃
人々は賢く生きる方法として
確率や先人の知恵を、大きな判断材料にしたのだと思います。

そう想像した時に
常に不安に晒されているわけではない現在のわたしは
きっと幸せなのだろうと
そんな思いが湧いてきました。

こころの中の小宇宙が、安定しているのかもしれません。
正確に言うと
不安に大揺れすることはあっても
ゆっくり立て直すことができるようになっています。

とは言え、毎月東北にお邪魔していると
もう少し正確に予測できていたら・・・
と、とても残念は気持ちになりますが
これは、大自然の偉大さに感服するしかありません。

常に謙虚であること
日々の一つひとつを丁寧に生きること
生かさせていただいていることに感謝できること
大宇宙からは、そんなメッセージが届きます。

仕事をしていれば、ハプニングばかりで
むしろ、その対応そのものが仕事であるとも言え
予定通りにいかないことに、押しつぶされそうになることもあります。
将来を考えると、不安でいっぱいにもなります。

数時間、数日、数ヶ月、あるものは数十年かけて
なんとか納得できる道を見つけられるように
わたしは、子どもの頃から
そのように生きてきた気がします。

この頃は
とことん考え抜いたのだから
こころの中の真実を追求したのだから
結果を待とう。

正確に言うと
導かれた道が最善の方向なのだろうと
感じられるようになりました。

「禅寺に坐して」 に、書き足りないことがあったこと
何かが気になって、また考え続けたこと
だから、こうしてまた書けたことに
ありがたい、と思えるようになったこと

すべてに感謝です。

禅寺に坐して

6月
2014
21

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お茶の間心理学<№8>

開山禅師の800年法要を行っている禅寺に、立ち寄る機会がありました。
全国各地から関係するお寺の方たちが集まって、お話を聞いている方丈の脇で
少しの間、休ませていただきました。

空海、日蓮、栄西・・・
貴族から武士に、社会が変化しつつある時代にあって
混乱の中、ひとびとは何か、揺るがないものを求めていたのかもしれません。

人が救われる道は
この頃も、決してひとつではなかったのだろうと
かすかな風に汗が引くのを感じながら、考える機会をいただきました。

数年前に行ったカウンセリングの研修会で
諸富祥彦さんと鏡リュウジさんの対談を、開催したことがありました。
対談の中で、諸富祥彦さんが
「皆さんは、恋愛で悩んだとき
恋愛相談のカウンセリングルームと
恋愛の占館が並んでいたら
どちらの扉を開けて入りますか?」
と、会場の参加者に問いかけました。
なんと、占館の方が多いのは
数えなくてもわかるほどの大差だったのです。

納得がゆくまで
自分のこころに折り合いがつくまで、考えたい。
どんなに確率が高くても
確信にはならない。
そんなわたしは、恋愛相談にかかわらず
どうも占いの世界が苦手のようです。

ただ、引いたカードや石からイメージをふくらませていくことは
何かの気づき(ひらめき)があり、ワクワクする瞬間ではありますが。

やはりわたしは
気がすむまで、自分のこころのホントを追求していく生き方が
一番、安心できるようです。
それはこだわりというより
自分のこころに存在するかすかな感覚を
大事にしていくということです。

いつの時代も、ひとのこころが救われる道は
ひとつではないようです。

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お茶の間心理学<№7>

たまたまテレビをつけた・・・

安倍首相が羽生結弦選手に
「おめでとう」 の電話をしているシーンが映し出されていた。
「君のあきらめない姿勢に、国民が励まされた・・・」
正確ではないが、そのような内容だったと思う。

確かに、羽生選手の姿は
私たちの重い心を爽やかに駆け抜け
希望をもたらしてくれた。
私の目からは、涙もこぼれた。

しかし一国を背負っている人の発言として
「あきらめないこと」を
『美しい言葉』としてしまって良いのか
むしろ心はさらに重くなった。

羽生選手が素晴らしい演技で終えられた背景には
コーチの的確な指導やプログラム
各地の会場や選手たちの応援があったからではないだろうか。

素晴らしい演技の影には
被災地を離れての生活に
多くの葛藤があっただろう。

あきらめないことが結果をもたらしたような表現は
危険である。
復興が進まない被災地の方々に、「あきらめないで」と言うならば
将来を考える気持ちになれるように
的確な援助とプログラムを示すべきである。

『美しい言葉』は要注意である。
精神論に包まれた無策・・・
応援しているようでありながら
「それはあなたの気持ちの持ちよう」と
責任を逃れていると感じてしまう。

*このように二重のメッセージを感じられるコミュニケーションを
ダブルバインド(二重拘束)といいます。

首相にも、どうか
被災地を、あきらめないで欲しい。
原発被害の処理を 、あきらめないで欲しい。
そして、あきらめなければなんとかなると
思わないで欲しい。

あるがまま

2月
2014
01

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お茶の間心理学<№6>

“あるがままを認める”という響きに
少しの重苦しさを感じていました。

言葉の内容には何の問題もなく
私もそのようにしたいと思うのに
何故なのか・・・
ずっと気になっていました。

今日
その霧が少し晴れかかってきたような
そんな感覚があったので
久しぶりにこのページに向かっています。

ここのところ
一瞬たりとも留まることのない
時の流れを感じているからでしょうか。

そう
“あるがまま”は
一瞬のうちに次の“あるがまま”へと変化し
そして、さらに次の“あるがまま”へ
形を変えようとしています。

“あるがままを認める”というのは
現状を肯定していくことだと思っていますが
現状には、今までの道程も含まれているような感じがします。
そして、この先の可能性を感じることも、現状のように思えるのです。

このままでいたいと思っても
時間が少しずつそれを変えていきます。
どうなるか分からない、これからやってくるあるがままを
私は認めることができるでしょうか。

この瞬間に幸せを感じていても
次の瞬間の幸せを願うのは
あるがままを認めていないことになるのでしょうか。

こんなことを考えながら
時は流れ
何十年もの歳月が過ぎてゆきました。

この、自分ではどうにもできない 時の流れが
“あるがまま”なのかもしれません。

パワースポット

6月
2013
23

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わたしの趣味は
パワースポット探しです。

先週
わたしは、石巻市内の仮設住宅で
集会所をお借りして、足湯カフェをやっておりました。

みなさんが移転を希望している復興住宅は
地盤と予算の関係で、着工が平成29年になるそうです。
住めるようになるのは、平成30年?!

足湯の後にお茶っこを楽しみながら
いつも、話が盛り上がります。
「ここの団地は、その頃には人数が半分になってるよ」

終の棲家・・・

大笑いする93歳のAさんと、92歳のKさんに囲まれて
「パワースポットは
こんな身近なところにあったのだ 」

「自分の人生はそう長くはないかも」
そう思っていたわたしも
なんだか長生きできそうな気がしてきました。

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お茶の間心理学<№5>
~距離の話しをもうひとつ~

傾聴の講座のサブタイトルに使っていた
そっとそばにいる・じっとそばにいる”を
そっとそばにいる・ずっとそばにいる”に変えたのは
震災の被災者支援に関わってからです。

このブログのタイトルも
ずっとそばにいる”を使うことにしました。

それを今回
じっとそばにいる”に戻そうという気持ちになりました。

この“ずっと”と“じっと”の違いを
ちょっと、味わってみたいと思います。

被災された方に、遠方のわたしたちができることは限られています。
どんなに気持ちがあっても
足を運び続けることは、そう容易いことではありません。
せめて、忘れないこと
そんな気持ちから
ずっとそばにいることを意識したいと思ったのです。

発災から1年7か月が経ち
毎月お会いしているうちに
お話しの流れが変わってきたように感じています。

被災者、とひとくくりにはできない、それぞれの方の生き方が
はっきりしてきたように思います。
「その方にとっての震災」
そこに寄り添うには、やはり
“そっとそばにいる・じっとそばにいる”姿勢が大事ではないかと
そう感じるようになりました。

「コミュニティづくりを応援しながら、個を大事にする」ために登場したのが
障子風の衝立です。
足湯をしながらお話しをするスペースが、お茶っこと同じ空間であったのを
ちょっぴり「あなたのための時間を大事にしている」と感じられるよう
こころの距離を取ったわけです。

実際の距離を離したわけではないのに
周囲が気にならなくなることで、こころにちょっとした距離ができる。
こんな工夫を、わたしたちは無意識にしていることがあります。
あるいはそれができずに辛くなっている時が、あるかもしれません。

そこで考えたいのが
じっと”と“ずっと”で、距離感が違うかどうかです。

ずっとそばにいてもらえたら、とても安心ですし
困ったら、いつでもすぐに助けてもらえそうな感じがあります。
甘えたくなるような、温もりも感じるかもしれません。
でも、近いのか、すこし離れているのか・・・
言葉で安心したくなっている自分を感じてしまいます。

じっとそばにいる、とはどういう感覚でしょうか?
確かに近い距離を感じます。
一方で
離れずにそこにいるのに、手は出さない?
そんな感じもして
それが本当に助けになるのだろうか、と心配になる人がいるかもしれません。

けれど、どういう人生を歩むかは、自分で決めること。
ときには、「あなたが決めたことを尊重します」と
自分が選んだ道を生きる勇気を、後押ししてもらえることが
本当の援助になるのではないかと思っています。

つまり、自立支援ですね。

それは「自分で決めたことだから、自己責任」ということではありません。
決めるまでに、どれだけの時間と労力、そして精神力を使ったことか・・・
じっとそばにいるには
相手を尊重することと、持っている力を信じて待つ姿勢が
根底に必要であると考えています。

さて、の違いを考えていてお伝えしたくなったのは
ゲシュタルト心理学に、“地と図”の考え方があることを思い出し
ひとりで歓喜するのはもったいない気持ちになったからでした。

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お茶の間心理学<№4>

人間関係を考えるときに
“距離をとる”という言い方をすることがあります。

これは、物理的なときもありますし、心理的なときもあります。
そして、この物理的距離と、心理的距離が
比例するときもあれば、反比例するときもあります。

また、無意識に取っているときもありますし
意識して取ることもあります 。
あるいは、遠距離恋愛のように
望んでいなくても、他からの要因で
距離ができてしまうこともあるでしょう。

この距離の取り方というのは
心理の世界では、重要な視点になっています。

悩んでいることを人に話して
そのことをちょっと離して、客観的に眺めてみる。
そして、いずれその悩みごとを手放すことができる。

話す・・・→ 離す・・・→ 放す・・・
だんだん距離が遠くなっていく感じがしますね。

ここで気をつけたいのは
決して、消すことではないということです。

夜空を眺めていて
すぐに見つかる星もあれば
存在しているのに、出逢うことなく終わる星もあるでしょう。
その星はどんな星なのか
“はやぶさ”を飛ばしたくなる人もいれば
まだ見ぬ星との出逢いを求めて
望遠鏡を見つめ続ける人もいるでしょう。

もしかしたら
人のこころにも
宇宙に存在する星たちのように
いろいろな思いが、存在しているのかもしれません。

「自分の中にこんな思いがあったのか・・・」と
きっと、自分が存在する限り
その気づきは終わることがないのでしょう。

そして、そのさまざまな思いは
常に自分の側にあるものもあれば
状況によって見えるものもあれば
何となく気にはなっていても、それがどんなものか
とうとうはっきり見えずに終わってしまうものもあるでしょう。

そんなとき、こころにあるいろいろな思いにも
距離があることを感じるのです。

それが、実際の人間関係においての距離感だったら
ともに泥まみれになることもあるし
あまり近づき過ぎないようにすることもあるし
ほどほどの距離を保つこともあるでしょう。

きっと、それぞれが
自分の感覚を研ぎ澄ませながら
居心地の良い距離感を探っているのだと思います。

席を譲るとき

8月
2012
16

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お茶の間心理学<№3>

相手の人を援助しようと手を差し伸べるとき、気をつけたいことのひとつに「自尊心を尊重する」ということがあります。これは当然のこととして理解できるようで、具体的にどのようにしたらよいか、なかなか分かりにくいのではないかと感じています。

ボランティア講座などでわたしは、ご高齢の方、認知症の方に対する声のかけ方を学んでいただく場合、実際に参加者同士が声をかけ合って、体験して感じたことから考えていくようにしています。

たとえば、座ってお話しをしようとするとき
「座りましょうね」と声をかけてみる(声をかけられる)ことを体験した後
「座りましょうか」と声をかけてみる(声をかけられる)ことを体験し
感じたことを述べ合います。

たった一文字の違いですが、援助する側の姿勢が現れてしまいます。
たとえ記憶が定かでない状態であっても、その人の意思を尊重しようとする会話からは、大事にされている感じが伝わるものです。 座るか座らないかを選択する権利を、奪ってしまわないように、とお伝えしています。

『権利』と聞くと、とても堅苦しく、日常生活には縁のないもののように聞こえますが、これは日々の生活の中に起こっていることでもあるのです。 たとえば、親が子どものためと思って、心配して子どもに言うときに、子どもの考える力を信じきれていなかったり、結果として子どもが考える機会を奪ってしまう場合が少なくありません。そして子どもは、親の言葉から、親の不安なこころを感じ取り、さらに親を不安にしてはいけないと、本心を話すことをしなくなっていきます。

では逆に、自分が子どもだったときを思い出してみましょう。なんともけなげに、親の様子から言葉を選んでいたことはなかったでしょうか。

夫婦でも、お互いの意思を尊重する生き方は、なかなか難しいのではないかと感じています。依存関係のようなものを愛情と思ったり、もめないためにあまり関わりを持たない生活を選んだり。多くのご夫婦、特に子どもが自立した後のご夫婦は、相手も自分も大事にする生き方や支え方に、ご苦労されているのではないでしょうか。

さて、『相手に、<大事にされている>と伝わる、援助のしかた』に話しを戻しましょう。 つまり『自尊心を大事にする援助のしかた』です。

先日電車に乗っていて、急いで飛び乗ってきたご高齢の女性が、わたしのそばに立たれました。 わたしは座ったまま「お座りになられますか?」と声をかけていました。 以前のわたしだったら、立ち上がりながら「どうぞ」と声をかけていたと思います。 そして、「大丈夫です」と断られたときは、<余計なことをしてしまったかな>と、悩んだものでした。

先日の方は、「いいですか?ありがとうございます」と座られたので、<良かった>と思ったのですが、それはその方が座ったからではなく、<その方は座りたかったのだ>と確認できたことによる安心だったと思います。

席を譲るという行為は単純そうに見えますが、実はけっこう悩む場面が多いのではないかと考えています。<とても疲れていて、自分も座っていたい>というときもあるでしょうし、<席を譲ることで相手を高齢と見たととられ、気を悪くされるかも>と迷うときもあるでしょう。

わたしは最近、自分自身がシンプルなコミュニケーションをとれるようになっていることに、気づくことがあります。相手の意思を確かめ、わたしにできるお手伝いをさせていただくために、さらっとお聴きすることが身についてきたようです。

これはきっと、被災された方の支援をするようになってから、強く意識をするようになったことだと感じています。 被災された方を弱いひとと見て、やってあげるという姿勢を感じたとき、支援する側が<これはとてもお勧めだから>と、やりたいことを進めているように見えたとき、そんな場面に出逢ったときは、とても苦しい気持ちになりました。もっと、こころをつなげるためのコミュニケーションを大事にしたい、と思ったのです。

一方、援助する側の至らなさを感じながらも、受け入れてくれる被災地の方々の大きさも、同時に感じています。 『相手の方を大事に思う援助』を教えてくれたのは、被災地の方々でした。

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突然、涙がじわ~っと溢れてくることがあります。

ひとのこころは
なんて優しいのでしょう。

どんなに元気だと思っていても
どんなに平静のつもりでいても

ちゃんと、傷ついていることを教えてくれます。
生きている切なさを、思い出させてくれます。

涙は、きっと
天から、あなたへのプレゼントかもしれません。

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忘れてしまうことは悲しい・・・

忘れられてしまうことはもっと悲しい・・・

だんだん薄くなっていく記憶を拾い集め
いつでもそのときに戻りたいと思う
あの、楽しかった頃へ
あの、幸せだった頃へ

この先にまた幸せが訪れることを信じられないとき

それは、過ぎ去った日々を大事にしたいからかもしれない
それは、忘れられてしまうことの悲しさを知っているからかもしれない

忘れないという幸せがあってもいいと思う
忘れるという幸せがあってもいいと思う

あなたが決めたことを祝福したいと思う

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お茶の間心理学<№2>

ひと昔前
多くのひとが “自分探しの旅” に出られたのではないでしょうか?

なんとなく周りと馴染めない感じがして
自分はどうしたいのか分からなくなって
本当の自分を知ることにより何かがはっきりすれば
無理をせずに “自分らしく” 生きられるような気がして。

けれど、知らない自分と出逢うことは
恐怖だったかもしれません。
ドロドロとした汚いものが出てくるかもしれないし
認めがたい自分が現れるかもしれません。

「わたしもそう思っていたなぁ」と
この世界に入ったときのことを懐かしく思います。
ワークショップに参加することが怖かったこと。
「この人たちにわたしの気持ちが分かるのだろうか」と
エクササイズでこころを閉ざしていたこと。

わたしが隠しておきたかったものは何だったのでしょう。
出逢いたかったものは何だったのでしょう。

何とか支えている弱いこころ
今にもつぶれてしまいそうな自分
いくら頑張っても見えないゴール
そしてすべてを許してくれる存在・・・

皆さんは
その後どのような旅を続けていますか?

わたしの旅は
こころの中にある真実との出逢い
ぴったりくる言の葉探し
そしてそれを表現し、伝えることになりました。

たったひとりで続ける孤独な旅は
真実の言の葉と出逢ったとき
何かとつながった感じがしています。
決して孤独ではなくなるのです。

幸せの一瞬

5月
2012
24

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世界中の人が、空を見上げた
一瞬の静寂と歓声の輪が広がる
武器を置き、争いをやめて

しかし、数分後
また元の世界が戻る
いったいあれは何だったんだろうと・・・

 

続いて欲しいと思うことがあります。
もう二度とあって欲しくないと思うことがあります。

何十年に一度しか起きないこと。
それはそれは、大事に丁寧に扱うことでしょう。
でも、どの一瞬も同じ重さではないかと思うのです。
どんなときの自分も、大事に丁寧に扱いたいと思うのです。

写真は不思議です。
過ぎてしまった一瞬が、記憶の中から蘇ります。
いま、ここに、存在するかのようにはっきりと。
そのときの空気も、においも、興奮も、感謝も。

カメラを向けるとき
今が幸せの一瞬であることを意識することができます。
過ぎ去ってゆく日常に
いつもカメラを向けていたいと思うのです。

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お茶の間心理学<№1>

「お茶の間心理学」と読んで
あなたにはどんなテーマミュージックが聞こえてきましたか?

新しいことに出逢うとき
ひとは期待もし、不安も感じますが
それは、いろいろなイメージがわき
そのイメージが感情を引き出すのでしょう。

プラス思考のひとと、マイナス思考のひと
挑戦的になるひとと、慎重に考えるひと
外向的なひとと、内向的なひと
分析的に観るひとと、雰囲気で捉えるひと

出来事に出逢う前に
わいてくる感情が、すでにひとによって違っているように思います。
プラス思考が良いと決めずに
いろいろな方向から眺めてはどうでしょうか?

みかんを食べるとき
初めてのときは、皮をむいてみないと中がどうなっているか分からない。
次からは皮をむかなくても、中は想像がつく。
けれど、何度皮をむいても、味は食べてみないと分からない。

甘い方が良いけれど、さわやかな酸味もなかなかです。
口に合わなかったら、次に期待をしたくなります。
こたつに入って安心してだったら、ゆったりといろいろな味を楽しむ余裕がありますが
もし、違う状況の中だったら、またこれも違ってきます。

ひとのこころの中って
そんな感じでしょうか?

こんな感じで、ぼつぼつ始めてみたいと思います。

悩める人へ

5月
2012
22

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あなたは「悩むことができるひと」

好きです。
尊敬しています。

悩むことができる力をもっているから。
その能力を
愛する人のために
惜しみなく使いましょう。

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ふと、この言葉が浮かんできました。

ホームページをリニューアルする際に
以前に書いたブログを、誤って消してしまったようでした。

そのとき、そのとき
自分のこころと向き合い
ピッタリくる言葉を、苦しみ、楽しみながら選んで書いた
あの言葉たちはどこへ行ってしまったのでしょう。

いまこうして見つけた言葉も
いずれ消えてゆく・・・
見つけた瞬間から
それは過去の記憶へと去ってゆく・・・

どんなに大事にしていても
それは一瞬の存在でしかないのかもしれません。
こころに湧いてくるいろいろな思いも
かすかな記憶の箱に、しまわれてゆくのを感じます。

こころは移ろい
同じところにとどまることはないのでしょう。
また、止まっていたい思いも
時間は、それを許してくれません。

けれど・・・
確実に存在していたという事実
いま感じているという事実
そのとき身体に在った感覚は
いまも鮮やかに蘇ってきます。

喜びも、苦しみも、
不安も、安堵も
快も、不快も
怒りも、感謝も

いずれ消えてゆくこの生命
一瞬、一瞬を見つめながら
自分のこだわりを捨てずに
そして、執着せずに生きていきたいと思うのです。