posted by on 悩める人へ ~色即是空 空即是色~

仙人に憧れていたことがあります。

あらゆる苦悩や禍い、欲から解き放たれ
別次元で
穏やかに存在している人に思えたからでしょう。

ただ
この仙人が食べていると聞く“かすみ”とは何なんだろう
という疑問が
何十年も解けずにおりました。

『かすみを食べる』とは
何も食べない、ということなのだろうか?
そう考えても
何となくピッタリこないまま
また、時が過ぎ去っておりました。

ここのところ
意識のレベル、というか
ステージ、というか
どう表現するかは、決めかねていますが
自分の居心地の良い場所を考える上で
意識の居場所を考えるようになっておりました。

その時
ふと、仙人に話が浮かび
『私は何を食べて生きているのかなあ』
と考え始めました。

そして
生きていくことができているのは
この感覚のおかげ
と、出てきたのは
『変性意識』です。

わたしは
『変性意識』に
生かされているようです。

『変性意識』を味わうことができる
カウンセリングの世界に導かれたのも
自然の流れなのでしょう。

まだ
“かすみ”には到達しておりませんが
『いま』を感じながら
ゆっくり進んでゆきたいと思います。

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太陽と月に守られて

皆既月食

赤く輝く月を見上げ
太陽と月に守られている地球を感じました

自然はこうして
私たちが忘れていることを
時々思い出させてくれます

私たちはいつも何かに守られている
そのことを忘れて
つい
ひとりぼっちを感じてしまいます

いつもの
クールではない
暖かい月は
そんなことを教えてくれました

では
私たちが守るものは何だろう

そんなことも考えさせてくれた夜でした

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秋の気配

残暑の空

ここから見たら一枚の絵

でも

同時に存在している雲は
何層にも
立体的に存在し
深く、深く
宇宙へと続く

明るいがゆえに見えない星も
遠すぎて同じ時期に出逢えない星も
一生出逢うことのない星も

この雲の先には
想像を絶する世界が深く広がっているのだろう

ひとの心も同じかもしれない

深く、深く

未知の世界の気配がする

 

 

正確に言うと

6月
2014
25

posted by on お茶の間心理学

お茶の間心理学<№9>

前回「禅寺に坐して」を書いてから
時々、ざわざわする感じがありました。
きっと何かがピッタリではないのだろうと
それが何なのか、気になっていました。

過去の時代を生きた人のこころは、想像するしかありませんが
天変地異や疫病に苦しんでいた頃
人々は賢く生きる方法として
確率や先人の知恵を、大きな判断材料にしたのだと思います。

そう想像した時に
常に不安に晒されているわけではない現在のわたしは
きっと幸せなのだろうと
そんな思いが湧いてきました。

こころの中の小宇宙が、安定しているのかもしれません。
正確に言うと
不安に大揺れすることはあっても
ゆっくり立て直すことができるようになっています。

とは言え、毎月東北にお邪魔していると
もう少し正確に予測できていたら・・・
と、とても残念は気持ちになりますが
これは、大自然の偉大さに感服するしかありません。

常に謙虚であること
日々の一つひとつを丁寧に生きること
生かさせていただいていることに感謝できること
大宇宙からは、そんなメッセージが届きます。

仕事をしていれば、ハプニングばかりで
むしろ、その対応そのものが仕事であるとも言え
予定通りにいかないことに、押しつぶされそうになることもあります。
将来を考えると、不安でいっぱいにもなります。

数時間、数日、数ヶ月、あるものは数十年かけて
なんとか納得できる道を見つけられるように
わたしは、子どもの頃から
そのように生きてきた気がします。

この頃は
とことん考え抜いたのだから
こころの中の真実を追求したのだから
結果を待とう。

正確に言うと
導かれた道が最善の方向なのだろうと
感じられるようになりました。

「禅寺に坐して」 に、書き足りないことがあったこと
何かが気になって、また考え続けたこと
だから、こうしてまた書けたことに
ありがたい、と思えるようになったこと

すべてに感謝です。

禅寺に坐して

6月
2014
21

posted by on お茶の間心理学

お茶の間心理学<№8>

開山禅師の800年法要を行っている禅寺に、立ち寄る機会がありました。
全国各地から関係するお寺の方たちが集まって、お話を聞いている方丈の脇で
少しの間、休ませていただきました。

空海、日蓮、栄西・・・
貴族から武士に、社会が変化しつつある時代にあって
混乱の中、ひとびとは何か、揺るがないものを求めていたのかもしれません。

人が救われる道は
この頃も、決してひとつではなかったのだろうと
かすかな風に汗が引くのを感じながら、考える機会をいただきました。

数年前に行ったカウンセリングの研修会で
諸富祥彦さんと鏡リュウジさんの対談を、開催したことがありました。
対談の中で、諸富祥彦さんが
「皆さんは、恋愛で悩んだとき
恋愛相談のカウンセリングルームと
恋愛の占館が並んでいたら
どちらの扉を開けて入りますか?」
と、会場の参加者に問いかけました。
なんと、占館の方が多いのは
数えなくてもわかるほどの大差だったのです。

納得がゆくまで
自分のこころに折り合いがつくまで、考えたい。
どんなに確率が高くても
確信にはならない。
そんなわたしは、恋愛相談にかかわらず
どうも占いの世界が苦手のようです。

ただ、引いたカードや石からイメージをふくらませていくことは
何かの気づき(ひらめき)があり、ワクワクする瞬間ではありますが。

やはりわたしは
気がすむまで、自分のこころのホントを追求していく生き方が
一番、安心できるようです。
それはこだわりというより
自分のこころに存在するかすかな感覚を
大事にしていくということです。

いつの時代も、ひとのこころが救われる道は
ひとつではないようです。